Hula's History 

フラダンスの歴史

アロハの心

Aloha!! のんびりのびのびのHANAはなです。

今日はHulaの歴史について調べて分りやすく簡単にまとめていきたいと思います。

誰でもわかるフラダンスの歴史

Lets Hula フラの起源や始まりは??

フラは世界一美しい踊りとも言われているほど、しなやかで優雅ですよね。

女性らしい動きや、反対にきりっとした神聖な踊りもあります。

まずはじめに、ハワイ語の

Hula:フラ

はハワイアンダンスのことで、踊りを意味するんだそうです。

なので私たちがよく使ってしまう、フラダンスは、ダンスダンスという意味になってしまうんですって(・.・;)汗

これは知ってたほうがいいみたい。ハナさんも平気でフラダンスっていってました。

ハワイ語ではフラと呼ぶのが普通だそうです。

フラの歴史

昔々のハワイやポリネシアには文字というものがありませんでした。文字を持たなかったハワイの人々が神々への信仰の表現や、体験、出来事、感謝の祈りなどを後世に伝える手段として、フラ(踊り)が広まったそうです。

太平洋の真ん中にある島国には、明るくさんさんと降り注ぐ太陽の日差し、美しい海や南国の色とりどりの花々などの自然・・・・

そういった自然を神とたたえ、人々は暮らし、自然の恵みに感謝し共存してきました。

どこか日本人の八百万の神々(やおろずの神)のような考え方と似ています。ありとあらゆるものに尊敬の念を表し、古代から感謝をしくらしてきたという共通点はうれしいですし、心に受け入れやすいはずだと思いました。

ハワイの人々は大切なことを全て祈りに込めて伝えてきました。

ハワイの人々が、すべてのものには精霊「マナ」が宿ると信じていて、神様や自然への感謝の気持ちと祈りをすごく大事にしていたからなんでしょうね。

フラは踊りが美しい!!!ただそれだけではなく、古来神にささげるための神聖な踊りでもありました。先史時代のハワイでは今のように趣味や楽しんで踊るためのものではなく、宗教儀式の一部だったそうです。なのでとても神聖なものなんですね(^^

ハワイの神話によると

この世でフラを始めて踊ったのは、女神ラカだそうです

女神ラカが、ハワイ諸島の一つ、モロカイ島にある洞窟で踊った踊りが、フラの起源とされています。

今でもラカはフラの守護神とされ、ラカをまつる祭壇を設けるフラ・ハラウ(フラの学校)も多いんですって(^^♪

フラダンスの発祥の地については、ハワイや、タヒチ・・・・などいくつかの説がありますがはっきりしたことはわかっていません。

ハワイの人々も、もともとはタヒチやマルケサス諸島から渡ってきたなどというせつもあるそうです。

フラモ各島で踊られていたり祈りに使われていたものが元となるのですが、それがハワイに伝わりハワイ独自の発展を遂げ、今のような美しい踊りへとなったのでしょう。

フラの動作は手話であり文字

文字を持たなかった先史時代のハワイでは、フラは歴史の継承という、大変重要な役割を担っていました。

当時のフラは今の音楽に乗せて踊るものとは違い、チャント(詠唱・祝詞)や太鼓の音に合わせておどられていました。

踊りはチャント(詠唱)の内容を表す、パントマイムや手話のようなものだったそうです。

それぞれの手の動きが虹、雨、花、風、ヤシの木、波などの動きを意味していて、踊り自体が一つの物語を構成しているんだそうです

ハワイの人々はこうしてチャントやフラに歴史記録し、後世に伝えたんですね(^^♪

本来のフラというのは、一般的に知られているよりも

ずっと神聖で奥が深いもの・・・・なんですね

それを踏まえて踊るともっともっと素敵に踊れると思います

なので大昔のハワイでは、フラは誰もが踊れるものではなかったそうです!

選び抜かれた男女だけが踊ることができた、特別なお踊りだったんですね。

日本でいうなれば巫女さんみたいな感じだったのかもです

フラの師範はクム・フラと言われていて、クムが若い男女の中から踊りの才能・容姿をもとに数人まずは選び出します。

彼らは女神ラカを祀る寺院に住み込みをしながら、長期間にわたり厳しい規律にのっとった生活をし、フラの特訓を受けました。

そうして生徒たちは神々を讃える踊りや、ハワイの歴史を表す踊り・・・などなど多くの踊りを習得するんだそうです。

お寺の修行みたいですよね。そこまでして、フラの心や精神、身体を鍛えて神聖な踊りに望んでいたのですね。

そうして卒業式を終了して初めて人前で踊ることを許されたんだそうです。

フラダンサーは文化や歴史の伝道者でもあるんですね。

フラ衰退・禁止の悲しい歴史

世界各地で近代化の波が押し寄せていた、1779年

イギリス人のジェームズ・クック船長をはじめとする船団がカウアイ島に上陸しました。

サンドイッチ諸島と名付けられたハワイも、交易の拠点となり、世界の国々とも大きな関わりを持つようになりました。

アメリカから来たキリスト教宣教師により、自然を崇拝する精神を表したフラを、一神教であるキリスト教を脅かすもの!と断定し、当時の女王(カメハメハ大王の妻)を通じて、カメハメハ2世に禁止令を出させたのです。

「自然崇拝を意味するフラは野蛮でみだらなもの」

とされ、フラやサーフィンや伝統文化を約50年もの間禁止され、すがたを消してしまったそうです。

カメハメハ三世時代

ハワイ語がアルファベットに変わり、口頭や踊りによる伝承はのちに記述され、」印刷技術へと発展していきました。

この時に首都もマウイ島・ラハイハナから減殺のオアフ島・ホノルルに遷都されました。

1848年  グレート・マヘナ法により、ハワイの土地を白人たちが入手することになりました。

1893年  リリウオカラニ女王がアメリカ人勢力に、制圧され、王位から退きハワイ王国はおわりをむかえてしまいました。

アメリカの一部となり、準州となったハワイで、ハワイ人たちは行き場を失い、人々はハワイ語を捨て、ハワイ人とわかる姓さえも隠していきていこうとするまでになってしまいました。

こんな悲しい歴史があったんですね・・・・

当時フラは見向きもされなくなっていましたが、一部のハワイの人々の間で守られていったそうです。

フラの復活!!!!

Wikipediaより

1833年   ハワイ王国第7代目君主 デイビット・カラカウア王

そんな悲しい状況のハワイを救った王様です。

芸術を愛して、「陽気な王様」(メリー・モナーク)のニックネームで国民から愛された王は、即位式の時にハワイの伝統的な儀式を行い、この時にフラのカヒコ(古典フラ)も公の場で披露したそうです。

カラカウア王の勇気、誇り、ハワイやフラを愛する心

胸が熱くなりますね・・・・・

デイビッド・カラカウア王により、

宣教師達から、「俗悪な大衆文化」とされた

フラ、サーフィンなどのハワイ固有の文化は復興されました。

カラカウア王は宮殿にダンサーを住まわせ、客人を招いては、フラのパフォーマンスを楽しんで、フラを全面的にサポートしたそうです。

このころ西洋のクラシックミュージックやピアノが輸入されて、王族たちに広がっていき、そこから楽曲が誕生し、ハワイアンミュージックが生まれ、その音楽に合わせて踊る、新しいフラが誕生しました

もっともっと詳しく調べるとありますが

大切なことをかいつまんでお話ししました。

くわしくはこちらの書籍などもおススメです

最後まで読んでくださりありがとうございました

MAHALO HANAはな


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